2010.03.03 18:00
マイバッハの旅 その3
マイバッハ=ウィルヘルム・マイバッハは、
自動車の父とされるゴッドリーブ・ダイムラーの片腕として、
ダイムラーとともにメルセデス1号車を設計した人物です。
その後、独立して、
息子のカール・マイバッハとともにマイバッハ社を設立します。
マイバッハの名を有名にしたのは、
飛行船、ツェッペリン号のエンジンを製作したのがきっかけとされますが、
その後、守備範囲は、
鉄道や船舶から、戦車などの軍用車両にまで拡がります。
自らの名を冠したクルマを作ったのは、
1920〜30年にかけてのことですが、
その頂点に立つ超高級車が、
V12気筒エンジンを積んだ「マイバッハ・ツェッペリン」です。
その後ダイムラー・ベンツ傘下に入り、
主に産業用ディーゼル・エンジン分野を担ってきました。
そして、2002年、
Sクラスを超える超高級車の誕生を機に、
往年の名車、マイバッハの名が蘇ることになったのです。
「MAYBACH」のオーナメント……威風堂々としています。
後席の天井中央部には、速度計、時計、温度計が組み込まれています。
立派な仕上げであることがおわかり頂けると思います。
ちょっとピンぼけですが、トランクを開けると、
リッド裏にはマイバッハ特製の二人分の傘が、こんな形で格納されています。
エンジンはSOHCのV12気筒ターボ。5.5Lの排気量から550ps/91.8kgmを引き出します。
ロングボディの「62」の重量は2855kgにもなりますが、むろん、パワーにはなんの不足もありません。
女性スタッフが秘書の役割を担当してくれました。僕には「遠〜い世界」のことのように感じられました。
ロングホイールベース・モデル「62」の後席です。下手なファーストクラスよりずっと快適です。
前後席を仕切るパーティションは360万円(2002年当時)でオーダーできます。
キャビンは最上の造り込みと落ち着いた雰囲気で仕上げられています。
後にラインナップに加わったスポーティなモデル「57S」はずっと華やかさを増していますが……。
では、また明日。
自動車の父とされるゴッドリーブ・ダイムラーの片腕として、
ダイムラーとともにメルセデス1号車を設計した人物です。
その後、独立して、
息子のカール・マイバッハとともにマイバッハ社を設立します。
マイバッハの名を有名にしたのは、
飛行船、ツェッペリン号のエンジンを製作したのがきっかけとされますが、
その後、守備範囲は、
鉄道や船舶から、戦車などの軍用車両にまで拡がります。
自らの名を冠したクルマを作ったのは、
1920〜30年にかけてのことですが、
その頂点に立つ超高級車が、
V12気筒エンジンを積んだ「マイバッハ・ツェッペリン」です。
その後ダイムラー・ベンツ傘下に入り、
主に産業用ディーゼル・エンジン分野を担ってきました。
そして、2002年、
Sクラスを超える超高級車の誕生を機に、
往年の名車、マイバッハの名が蘇ることになったのです。
「MAYBACH」のオーナメント……威風堂々としています。(撮影・岡崎宏司)
後席の天井中央部には、速度計、時計、温度計が組み込まれています。立派な仕上げであることがおわかり頂けると思います。
ちょっとピンぼけですが、トランクを開けると、リッド裏にはマイバッハ特製の二人分の傘が、こんな形で格納されています。
エンジンはSOHCのV12気筒ターボ。5.5Lの排気量から550ps/91.8kgmを引き出します。ロングボディの「62」の重量は2855kgにもなりますが、むろん、パワーにはなんの不足もありません。
女性スタッフが秘書の役割を担当してくれました。僕には「遠〜い世界」のことのように感じられました。
ロングホイールベース・モデル「62」の後席です。下手なファーストクラスよりずっと快適です。前後席を仕切るパーティションは360万円(2002年当時)でオーダーできます。
キャビンは最上の造り込みと落ち着いた雰囲気で仕上げられています。後にラインナップに加わったスポーティなモデル「57S」はずっと華やかさを増していますが……。
では、また明日。




1940年東京生まれ。日本大学芸術学部放送学科卒業。文化的側面からクルマを斬る自動車評論家。輸入車がレアだった45年以上前に、「旅行に行くから」と言って借りた、父のノーマルのベンツでラリーに出場し、優勝したという、やんちゃな過去も。




